前回、5月20日の投稿でご報告した内視鏡による大腸検査と再入院しての加療という予定の頓挫は、その後も病院内の新型コロナ・クラスターのたゆまぬ拡大のため、据え置きになっています。いったいいつになったら、という目途も立ちません。けれども、私のほうはとりあえず急を要する状況ではないので、いつまででも待つつもりです。下剤を握りしめつつ。みなさん頑張ってください。


で、それではこの10日間をどのように過ごしていたのかといいますと、小学校2年生のときに盲腸炎を患って以来の入院だったせいか、自分でも驚くほど弱気になっておりました。新型コロナ感染の怖さもあるので、ずうっと自宅にこもり蟄居していました。外に出たのは近所の公園の川の流れに我が身を映しにいったそのときのわずか1回きり。


昼夜を問わず起きている時間のほとんどはただ漫然とYouTubeを見ていました。まあ、そういう精神状態も影響していたのか、「不法占拠バラック集落」とか「置き去りにされた街」とか「河川敷に広がる暗黒地帯」とかいう、要するに“部落”と呼ばれるような地域を中心にした、YouTuberによるお手軽探索ものばかりです。


しかしながら、どこの地域、集落にも人影はまったく見られず、さらにはなかには完全に廃墟なのかまだ人が住んでいるのか、あるいは死体となってどこかに隠れているのかという凄まじい景色もあって圧倒されました。これほどまでとは予想していなかったので。ちょうど病院のベッドで人事不肖に陥っているご老人たちの姿にフランシス・ベーコンの絵画を重ねあわせて深く頷いてしまうという一種凄惨な体験と同じように強烈でした。


しかしそうした映像を見続けているうち、なんとなく郷愁というのか親しみめいたものが湧いてきたのも事実です。外国のスラムをこれまた映像で見たことなら何度もありますが、国内のそういう場所をあからさまに見たのははじめてですし、私自身はごくふつうの小市民の家庭に生まれ育っているので、そうした親近感みたいな感覚がいったいどこからくるのか、首をひねりながらさらに見てしまっていました。不思議です。


そして数日、ついにテレビ・ニュースに出てくる街のようすがまるで「不法占拠バラック集落」と変らなく見えはじめました。ビル群や住宅街や人々の流れも、以前の見え方と違って、どことなく古めかしく、貧相です。テレビだけでなく実際の窓の外の見慣れた景色も頼りなく、古めかしく感じます。


これもちょっと一皮むけばあのトタンの壁と低く垂れ下がった電線と割れたガラスをベニヤ板で塞いだ窓の「不法占拠バラック集落」が姿を現すのではないか、そしてそもそも両者のあいだに違いなどないのではないか、と。


おそらく私、戦後の焼け野原を目のあたりにした方々の気分がはじめて少しだけ分かりかけてきたようです。現実、現在とはなんと儚い、頼りないものなのでしょう。なにかのきっかけでまたバラックに逆戻りする可能性も大ありなのではないでしょうか。


いやいや私だけではありません。あなたも現代の「不法占拠バラック集落」を延々眺めたあとにいつも見慣れた街の景色に目をやってごらんなさい。きっと同じ感想を抱くことでしょう。目からウロコですからぜひお試しを。


さらに暗い気分のときには暗い話題に捕まってしまうもので、あるYouTuberの“オカマ”の語源というヨタ話にもすっかりやられてしまいました。彼によると、オカマのカマとは釜ヶ崎、大阪西成のあいりん地区のカマのことで、それがなぜオカマになったかというと、隣接する遊郭、飛田新地に遊びにいきたいけれどもカネがない男たちが手前の釜ヶ崎の男娼で間に合わせたからだ、というのです。


なんという無知無体、そして極北の暗黒。異様なまでの人間の醜さを感じて、いつかはおいどに内視鏡を受け入れなければならない私はもうヘロヘロです。もちろんオカマの語源が釜ヶ崎などということは絶対にありません。念のために調べた範囲でも、釜ヶ崎が出てくることはありませんでした。諸説あるようですけれども。


現代の近代化され、そうとう清潔に美しくなった思いこんでいる私たちの暮らしも、実は「不法占拠バラック集落」とそう変りはないのではないか、と思っていると、また妄想が。


なんだかんだいっても私たちは前回の東京オリンピック・パラリンピック(1964年)の地点からそう遠くはないのです。あるいはすったもんだいろいろなことがありつつも、人間の歴史として結局57年前の東京オリンピック・パラリンピックのあの日から、私たちは一歩も前進してはいないのです。そうに違いないのです。


おお、なんという徒労。日本のこの57年間はいったいなんだったのでしょう。


しかも、もし2021年の東京オリンピック・パラリンピックが開催されたとしても、そのあとにかつてはそうだったような高度経済成長の時代がやってくるなどという僥倖はまったく望めないのです。東京オリンピック・パラリンピックがあろうとなかろうと、日本はこのまま衰退の坂道を転がり落ちるだけなのです。


それは皮肉にも東京オリンピック・パラリンピックや新型コロナウイルスへの対応に露呈する政治や資本の無責任さ無能さ、言葉のデタラメさ、国民に対する裏切りが明らかにしています。この国にはもう守るべきものなどなく、まったく回復不能な不治の病に罹っていることが、実感として理解されます。


しかし、それでもなお、だーがしかし、それでもなお、こんな日本のゲーム・チェンジャーになるべきは、やっぱりあなたや私しかいないのです。注意深く、身近な小さなことを間違いなく淡々とこなしていきましょう。私の場合は、まずは内視鏡による大腸検査から。



















 今日の備忘録↓





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浅い水溜りだと思ってマンホールに落ちる




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人間の愚かさ度し難し。(了)




























 † 結婚も離婚も夫婦喧嘩も、戦略的に過ぎる今日このごろ





























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