別にワアワア騒ぎ立てるほどのことではないのだけれども、どうしても気になって仕方がないということがある。(↓)これなんか約1週間も気になり続けている。それならさっくり書いて忘れてしまおうというのが本日のお題。


◆ 『共同通信』2021年3月21日配信
【ダル「みんな皮をはいだら同じ」 アジア系憎悪犯罪に】

《 【ピオリア(米アリゾナ州)共同】米大リーグ、パドレスのダルビッシュ有投手は20日、キャンプ地のアリゾナ州ピオリアでオンライン取材に応じ、新型コロナウイルスを背景に米国で増えているアジア系住民への憎悪犯罪(ヘイトクライム)に「(肌の色が違っても)みんな皮をはいだら同じだと僕は思っている。あまり良くないと思う」と語った。

ドジャース時代の2017年のワールドシリーズでは、自身に向けられた相手選手の差別的な言動が問題になった。「自分は直接的にそういうことを言われたり、されたことが米国に来てからはない。でも実際にそうやって苦しんでいる人もたくさんいる」と述べた。》


いいたいことはわかるでやんす。肌の色が違ったってみんな同じ人間なんだ、それで差別するなんてまったく意味がない、バカげている、ということだ。


しかし面喰らってしまう。なぜ? 人間の皮を剥いで較べるという発想がなかったので。いきなり顔面中央にストレート・パンチを食らったみたいな気分だ。そんな経験ないのだが。


うむ、そしてこの話はこうした比喩、暗喩の用い方にたいへん神経をすり減らす。だから違和感を説明するのにもちょっとドタバタする。


まず私は実際に皮を剥いだとして、と考えてしまう。実際に皮を剥いだとして、大きな人、小柄な人、太った人、痩せた人の違いはある。そんなことをいいたいのではないことはわかるが“みんな同じ”ではない。1人ひとり個体差があって、それをまず認めあおう、と。


もしかすると脂肪のつき方や肉質もそれぞれ違うかもしれない。生活習慣が異なればとうぜんそういうことになるだろう。たぶんみんな違う。


で、ここで“肉質”という言葉をもちだしてしまったことから、私は脇道に逸れる。きっと味も違うぞ、と。食用の家畜は、皮を剥いでからの違いのほうが重要だ。「みんな皮をはいだら同じ」などといったら生産者の方々はさぞかしガックリするだろう。たとえばあの見事なサシを入れるために日々どれだけの研鑽が重ねられていることか。私はそんな立派な和牛を食べたことがないしこれからも食べないが。


あー、そうか。たとえば柑橘系果物みたいに食べ馴れたものに関しては、ちょっとキズがついているけれども「みんな皮をはいだら同じ」というか。


まあ人間は食用の家畜ではないのでまったく意味のないお話には違いない。しかしそういう差異があることを予測しながら「みんな皮をはいだら同じ」と片付けてしまうのには少し抵抗がある。


ほんとうは、「みんな違う。けれどもみんな同じように大切で重要でかけがえがない」という理解をしなければいけない。でしょ?


そしてそのためには「違い」、個体差を認めあわなければいけないけれども、そこはいまのところたいへんなデンジャラス・ゾーンなわけだ。すぐに優劣と結びつけたり差別とつながるから。


いや、脂肪のつき方や肉質などといっているうちはまだ穏便だ。しかし血液の特徴、DNA、とくれば優生学の世界は目の前だ。


だから、すべての人間に生まれつき備わっているものとして「人権」が想定されている。これはホント、人間にはめずらしいくらいによくできた考え方だと思う。


たぶん人類の惨劇は冷静さを装った奇妙な歪み、巧妙な捻れから生まれてくるに違いないとふだんから心配なのよ、私は。マジで。


私自身もそうとう歪んでいることは間違いないし。






















 今日の備忘録↓





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『官能小説 用語 表現 事典』ちくま文庫、858円




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ボキャブラリーは大切。消えゆく日本語を大切に(了)





























 † 全日本空手道連盟の香川政夫選手強化委員長(65)がもしサディストだった場合、東京オリンピック女子組手61キロ超級代表・植草歩(28)に対する“パワハラ”は実は“セクハラ”であったのではないか、という専門家による微妙な指摘





 






















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